
DISCOVERING AMERICA
1990年代のアメリカのナンバープレートは単なる番号ではなく、「広告」として機能していました。アメリカの車のナンバープレートは街中を走る移動式の看板のような存在で、日本とはまったく異なる文化でした。本記事では、1990年にロサンゼルス国際空港で初めて目にした「広告ナンバープレート」の違和感を、当時の実体験から振り返ります。
1990年アメリカの記録はこの一枚から始まった
1990年12月5日、ロサンゼルス国際空港。
入国審査を終え、初めてアメリカの空気を吸った。
英語の看板。硬い光。乾いた匂い。
でも、冬の曇り空のせいでカリフォルニアの青い空はどこにもなかった……
ターミナルの外に出ると、真っ赤な新車の4代目Accordが停まっていた。
周りには人影もなく、乾いたカリフォルニアの空気だけが静かに流れている。
私は思わずCanon T90を取り出し、シャッターを切った。
私のアメリカの記録は、Fujifilm Velvia 50で写したこの一枚から始まった。
アメリカのナンバープレートは広告だった
車は完璧だった。
新車。傷ひとつないボディ。
曇っていても、カリフォルニアの光を跳ね返すメタリックの赤。
まだアメリカに来たばかりの私にとって、この車は強烈に印象に残った。
理由はナンバープレートだった。
そこに付いていたプレートは、日本で見慣れていたものとはまったく違っていた。
ナンバープレートというより“広告”。
「BEVERLY HILLS HONDA」のロゴ、移動式の看板。
日本から来たばかりの目には、それがやけに異彩に映った。
この「なんでこうなってるの?」という違和感、実は他にもたくさんありました。 → アメリカ郵便の合理的なシステムを解説
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少しだけ冷静な観察
冷静に考えると、広告プレートは理にかなっている。
どうせ街を走る。どうせ目に入る。だったら宣伝する。
合理的だ。
だが入国直後の目には、それが“過剰な自己紹介”に見えた。
アメリカ製HONDA車という日系アメリカ人が、いきなり名刺を三枚くれた感じだ。
写真が残したもの
この一枚が貴重なのは、
日本製Accordと違ってバンパーが飛び出しているからではない。
サイドマーカーが付いているからでもない。
それは、「初めて見たアメリカの顔」だったからだ。
制度の国。商業の国。そして自己主張の国。
前面プレートは番号ではなく、国の性格を語っていた。
まとめ
日本のナンバープレートは、ただの管理番号の板にすぎない。
しかしこのプレートは、国そのものをブランドのように見せていた。
番号の代わりに広告を掲げたその姿は、この国の縮図のようだった。
当時の私には、それがとてもアメリカらしく見えた。
今こうして写真を見返すと、写っているのはただのAccordだ。
しかしこの一枚には、 当時の自分の緊張や興奮がそのまま閉じ込められている。
その後、私は地図を片手に西海岸を走り回り、 やがて同じ大地を空から見下ろすことになる。
そのすべての始まりが、この空港で撮った一枚だった。
こうして、私のアメリカの記録はこの一枚から始まった。