— アメリカのリコリスの味とは?食べてみた衝撃とルートビア以来の違和感 —

American Licorice
American licorice — 1990 · Ai reconstruction

English version →


ESSAY


アメリカでは誰もが当たり前のようにかじっているリコリス。その黒い見た目と薬のような味は、初めての人に強烈な違和感を残します。なぜ人々はこれを日常的に食べるのか?味の正体や赤と黒の違い、独特な形と文化背景を、実体験をもとに軽やかに解説します。

1990年代アメリカで体験した味のカルチャーショックを一覧で見る

風景の中にあるもの

アメリカでしばらく生活していると、妙な光景に慣れてくる
最初は違和感しかなかったものが、いつの間にか風景の一部に変わっていく。

リコリスも、そのひとつだった。
長い列に並んでいると、必ず一人はいる。
何かを、ずっとかじり続けている人。
ガムでもないし、スナックでもない。
黒いビニールロープのようなものを、無意識に噛んでいる。

映画館でも同じだった。
ポップコーンではなく、細長いそれを手に巻きつけて、音も立てずにかじり続ける人。
ドライブ中、片手でハンドルを握りながら、もう片方から噛みちぎって食べる人。
子どもは子どもで、縄跳びのように振り回して怒られている。

ある時、日系の銀行窓口で口座開設の手続きをした。
担当の銀行員はそれを手首に巻きつけ、かじりながら応対をした。
その時、これはもう、ここでは完全に日常の風景なんだと思った。
食べているというより、そこにある生活用品のような感覚。
ガムとも違うし、食事とも違う、その中間にある曖昧な存在だった。

最初の一口と味の正体

試しに買ってみた。
黒いビニールロープを一本。

噛んだ瞬間、少しだけ後悔する。
甘い‥‥‥

確かに甘いのに、その直後に薬のような匂いが追いかけてくる。
どこかで嗅いだことがある匂いだと思った。
正露丸に近いかった。
あるいは漢方薬の棚の前に立ったときの、あの乾いた香り
初めてルートビアを飲んだときの、「これは本当に飲み物なのか?」と疑う感覚
それがまた戻ってきた。

この味にはちゃんと理由があった。
原料は甘草、いわゆるリコリスルートと呼ばれる植物だ。
どこか重く、薬っぽさを伴った甘さになる。
さらに黒いリコリスには八角のような香りが加えられていることが多いらしい。
どうりで、あの独特の風味ができるわけだ。

さらに、シロップ状のリコリスも売られていた。
牛乳やソーダで割ったり、カクテルに使われたりもするらしい。
そして、北欧には塩味のリコリスまであるらしい。
この世界の奥行きは、思っているよりずっと深かった。

赤と黒、そして見た目の問題

売り場に行くと、赤と黒が並んでいる。

赤いほうは、実はリコリスではないことが多いらしい。
いちごやチェリー味で、リコリスルートを使っていない。
名前だけ借りた別物だ。
それでも同じ棚に並び、同じように売られていた。

一方の黒は、いわゆるオリジナルの味である。
アニスの香りと薬っぽさが、しっかり残っている。
どちらにしても共通していることがある。
「おいしそうに見せようとしていない」という点だ。

黒は黒のまま、赤はやけに人工的な赤のまま。
ビニールの様に艶やかで、食欲をそそる方向には振っていない。
けれどアメリカでは、必ずしも見た目が美味しさを決めるわけではない。
蛍光色のケーキやキャンディが普通に並ぶ国である。

価値があるのはむしろ「慣れた親しんだ味」のほうだ。
子どもの頃から食べている人にとっては、あの黒や赤は安心の色なのである。
違和感のない見た目になる。

形と機能、そして「かじる」という行為

形はさらに不思議だ。
ロープ状、テープ状、延長コードのようなもの、電気部品のような形まで。
色と相まって、ホームセンターで売られている配電用部品の様に見えてしまう。
これは、押し出して作る製法の結果でもある。

それ以上に「遊べる食べ物」として設計されているように見える。
結んだり、ちぎったり、引き出したりできる。
中空のタイプは、ストローの代わりにしてジュースを吸う人もいる。
食べる前に少し触って遊べる余白がある。

さらに、バケツに入れて売られているものもあった。
取手付きのプラスチックのバケツに、どっさりと詰められている。
パーティー用で、シェア前提だ。
量が多いこと自体に価値がある文化が、そのまま形になっている。

こうして見ていくと、リコリスは「お菓子」というより、「間を埋めるための生活用品」に近い。
長くもてて、手が汚れず、口寂しさを紛らわせる
ガムよりも存在感があるけれど、食事にはならない。
その中間にあるものだから、列に並びながらでも、仕事中でも、自然にかじっていらるのだだろう。

いつまでも記憶に残る味

味の衝撃だけで言えば、ルートビア以来かもしれない。
けれど本当に引っかかるのは、そこではない。
味そのものよりも、「なぜおいしそうに作らないのか?」という違和感のほうだ。

形も色も、あえて食欲から距離を置いたところにある。
それでも人々は当たり前のように手に取り、かじり続ける。
その風景が日常として成立している。
そのこと自体が、文化の違いとして静かに残る。

しばらく時間が経つと、不思議とまたあの味を確かめたくなる。
おいしいと言い切れるわけではないのに、もう一度試してみたくなる。
黒いロープをかじるという行為とともに、記憶の中に残っているからだ。
アメリカを思い出すとき、あの甘くて薬っぽい味が、静かに戻ってくる。


今回の味や味覚の「なんでそうなの?」という違和感
他にも、食べ物に関する違和感がありました。

→ 食感までも違っていた驚きの体験記はこちら
「フライドポテト」ではなかった。Burger Kingでの恥ずかしい体験。
極めて日本的なアメリカのファストフード文化はこちら
1990年代アメリカで体験した味のカルチャーショックをまとめて読む

Read this article in English →


© 1990-1992 flt1195.com