― 日本のバブルとは何だったのか?1990年代初頭、現地アメリカから見た現実 ―

Safeway supermarket in San Francisco photographed from an apartment building, March 1992
San Francisco, CA, USA — Mar 1992 · Velvia50

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ESSAY


1990年代初頭、日本のバブル経済は頂点にあり、「世界の中心にいる」と本気で信じていました。だが同じ時期、アメリカではまったく違う時間が流れていました。西海岸を旅しながら見た、日米の不思議な温度差を記録します。


当時は意味がわかりませんでしたが、今振り返ると、すべてが同じ文化の延長線上にありました。
→ 「1990年代アメリカ体験記|現地で感じた戸惑いと文化の正体」


1990年から1992年までの3年間、私はアメリカで写真を撮っていた。
西海岸を車で走り回り、やがて空を飛び、フィルムで街を記録していた。
その頃の日本は、いま思い返すと少し不思議な状態だった。
国全体が、本気でこう思っていた。

「日本は世界の頂点に立った」

冗談ではない。本当に、そういう空気だった。

日本全土の土地価格が、アメリカ全土の2倍?

当時よく語られていた話がある。

「日本全土の土地価格は、アメリカ全土の2倍」

アメリカの国土は日本の約26倍。人口は約2.6倍。
つまり人口密度は日本の約10分の1。
その広大な国より、日本の土地の方が高いという計算だった。
今聞くと都市伝説のようだが、当時はわりと真顔で語られていた。

有名な話もある。

「皇居の土地だけでカリフォルニア州が買える」

今なら完全にジョークだ。
だが当時は違った。
誰も疑わなかった。
疑う余裕がなかった。
それくらい、日本の地価は天井を突き抜けていた。

日本は本当にアメリカを買い始めた

1989年、日本企業が象徴的な出来事を起こす。
三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収した。
ニュースは誇らしげだった。
「ついに日本がアメリカの象徴を手に入れた」

当時の空気はシンプルだった。
買えるものは、買う。
世界は値札のついたマーケットのようなものだった。

一方そのころの私はというと、
ハイウェイ沿いのMotel6で20ドルの部屋に泊まり、
Tacobellの99セントのタコスをかじっていた。

アメリカ西海岸では、
ガソリンは1ガロン(約3.8L)1ドル前後、
街には99セントショップ、
モーテルは激安、
失業率は7%台。
そして景気は、あまり良くなかった。
体温で言えば、5度位違う感じだった。

世界一だった日本企業

今では想像しにくいが、当時の世界企業ランキングは日本企業だらけだった。

世界で最も時価総額が高かった企業は「日本電信電話(NTT)」

そのほかにも
ソニー
トヨタ
日立
松下
キヤノン
といった企業が世界ランキングの上位に並んでいた。

雑誌やニュースでは、こんな言葉が普通に聞こえていた。
「21世紀は日本の時代」
あの頃、その未来を疑う人はほとんどいなかった。

ドル70円台という別世界

1985年のプラザ合意の後、円は急激に上昇する。
時期によっては1ドル=70円台を記録。
いまの感覚からすると別世界だ。

当時の日本は
・貿易黒字世界一
・外貨準備高世界一
・海外資産保有額世界一

お金が「足りない国」ではなく、「余っている国」だった。
余ったお金はどうなったか。
土地に流れた。株に流れた。
そして世界のビルを買いに行った。

当時の自分にとっても、アメリカは経済的に「遠い国」ではなかった。
むしろ異様に「近い国」だった。

円高の影響もあり、感覚的にはアメリカの生活物価は日本の4分の1位に見えていた。
つまり、日本で1,000円節約すれば、アメリカで4,000円分使えるということになる。
だから自分そう言い聞かせて、コツコツと渡米資金を貯めていた。
コンビニで無駄遣いをしなかったのも、「この1,000円でアメリカのハンバーガーやホットドックが何個食べられるか」を考えていたからだ。

そして実際にアメリカへ行くと、物価は本当に安かった。
1ガロン(約3.8L)で1ドル前後のガソリン。
99セントのタコス。
激安のモーテル。
さらに、スーパーでは値引きクーポンが大量に使える。

あの頃の日本人にとっては、アメリカは「憧れの超大国」である。
同時に、「信じられないほど物価の安い国」でもあった。

そして今、その関係はほぼ完全に逆転している。
現在の日本人は、アメリカの物価や年収の高さに驚く。
同じ国なのに、時代が変わるとここまで景色が変わるのかと思う。

私が見ていたアメリカ

しかし、アメリカにいると少し違う景色が見えた。

モーテルの窓口で、店主が防弾ガラスの隙間から愛想よく鍵を渡す。
ガソリンスタンドの少年は「景気?知らないよ」と笑う。
スーパーにはディスカウントの札。
合言葉は「Save money!」
そこにあったのは、日本のような熱狂ではなく普通の生活だった。

日本は世界を買えると思っていた。
アメリカ人は、ただ普通に暮らしていた。
その温度差が、妙に面白かった。
そして私はその中で、ひたすら写真を撮っていた。


そんな「普通の生活」からも、様々な驚きと発見がありました。
→ どこにあるのか?聞かないとわからないアメリカのトイレ
→ なぜ日本につくらない?便利な「エクスプレスレーン」
→ 食べ残しを持ち帰れるドギーバッグ文化
→ どこにでもあった、無料コーヒーとスナックサービス
→ 二度と出会えなかった、ホット・スパイスド・アップルサイダー

そしてバブルは崩壊する

1991年。
日本のバブルは崩壊する。
地価は下がらないはずだった。
株は永遠に上がるはずだった。
日本企業は世界の中心であり続けるはずだった。
全部、「はずだった‥‥‥」

その後30年、日本は「失われた時代」と呼ばれる時期に入る。
一方アメリカはIT革命へ進み、再び世界経済の中心へ戻っていく。
Fortuneの上位はアメリカ企業で埋まった
国民の平均年収は1000万円を越え、日本の2倍以上の差となる。

熱は、西へ移動した。

写真の中の温度

私の写真には、経済の数字は写っていない。
だが写っているものがある。

時代の温度

日本は燃えていた。
アメリカは静かだった。

でも写真を見返すと、不思議なことに気づく。
静かなはずのアメリカのほうが、どこか自由で楽しそうなのだ。


1990年初頭。
私はその真ん中にいた。
西へ走り、空を飛び、フィルムにアメリカ世界を写していた。
あの3年間は、円高でも円安でもない。

「日本が世界の主人公だと本気で信じていた最後の時間」だった。

そして私は、その物語の裏側を撮っていた。


当時の静かなアメリカを横断的にまとめた中心記事はこちらです。
→ 「1990年代アメリカ体験記|現地で感じた戸惑いと文化の正体」

静かなアメリカにも、驚きと感動がたくあんありました。
→ なぜアメリカでは水道代が請求されない?
→ なぜカリフォルニアではフロントナンバーがないのか?
→ なぜアメリカの住宅街に電柱・電線がないのか?

Read this article in English →

Safeway supermarket in San Francisco at night, 1992, with a brightly lit parking lot and city lights under a cloudy sky
San Francisco, CA, USA — Mar 1992· Velvia50

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