— なぜコーヒー大国アメリカに缶コーヒーがなかったのか? 90年代の意外な体験 —

Office coffee station and vending machines in Sacramento, California, 1991, showing a drip coffee maker alongside soda and snack machines typical of American workplaces at the time.
Sacramento, CA, USA — Jan 1991 · Velvia50

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ESSAY


1990年代初頭、コーヒー大国アメリカには、アイスコーヒー文化も缶コーヒーもほとんど存在していませんでした。日本では当たり前だったその存在が、なぜアメリカでは珍しかったのか。本記事では実体験をもとに、その文化差と時間差、そしてRTDコーヒーの登場による変化をたどります。

1990年代のアメリカのコーヒー文化を一覧で見る。

コーヒーの国に、缶コーヒーはなかった

1991年、カリフォルニアの州都サクラメント。
乾いた空気の中で、プロペラの音が近くで響いていた。

その日の私は、フライト・アカデミーのブリーフィングルームにいた。
チャートと資料に囲まれた、いかにも「これから飛びます」という空気の中。
インストラクターのデスクの上に、ひとつだけ場違いなものが置かれていた。

——缶コーヒーだった。

訓練生が置いていった日本からのお土産。
見慣れたスチール缶。
日本の自販機でいつも見かける、あの小さな缶コーヒー。

ただし、それはアメリカ人にとっては、まったく見慣れないものだった。

「コーヒーの缶詰?」

最初にそれを手に取ったインストラクターは、缶をくるくる回しながら言った。

「これは……コーヒーの缶詰なの?」

言い方が少しだけ慎重だったのを覚えている。
未知のものに対する、あの独特の距離感。

私は少しだけ得意になって説明した。
これは、日本では普通にどこでも売られていること。
自販機でも買えること。
冬は温かく、夏は冷たいこと。
缶を開けて、そのまま飲めること……

そして何より——最初からミルク入りの甘いコーヒーが完成されていること。

その説明に対するインストラクターのリアクションは、想像以上に大きかった。

「冷たいコーヒー?」
「最初から甘い?」

ひとつひとつの要素が、ひとつひとつ新しかったのだ。

当時は、なぜ「存在しなかった」のか

今振り返ると、あの違和感は当然だった。
当時のアメリカでは、コーヒーは「その都度作るもの」だったからだ。

ダイナーで何度も注ぎ足されるコーヒー。
オフィスのポットに入った、いつでも熱いコーヒー
砂糖やクリームは、自分で好きなだけ入れる

つまり、コーヒーは完成されていない飲み物だった

完成された味がパッケージされているコーヒー」という発想自体が、ほとんど存在していなかった。

日本ではすでに「完成」していた

その頃、日本ではまったく違うことが起きていた。

1969年、UCC上島珈琲 が世界初の缶コーヒーを発売する。
最初は売れず、在庫が積み上がったという話もあるが、翌年の大阪万博をきっかけに一気に広まった。

そして自販機というインフラと結びつく。
コインを入れ、ボタンを押せば、すぐ飲める。
しかも、温かいか、冷たいかまで選べる。

トラックドライバーの手に握られ、夜明けの道路を走り続ける。
その姿は、もはや「飲み物」というより「燃料」に近かった。

やがて各メーカーが参入し、甘いもの、微糖、無糖とバリエーションが増え、缶コーヒーは完全に日常に溶け込んでいた。

数年後、空の上で起きた小さな逆転

それから何年か経ったある日。
私はUnited Airlinesの機内にいた。

配られた飲み物の中に、見慣れないものがあった。
Starbucks の缶コーヒー。
それも、日本ではおなじみのポッカが製造のOEM。

あのとき、サクラメントで珍しがられていた「コーヒーの缶詰」。
今度は、アメリカの航空会社の機内で配られていた。

少しだけ、世界が回ったような気がした。

RTDという新しい言葉

2000年代に入ると、アメリカでは缶コーヒーというより、RTD(Ready-To-Drink)という言葉が広がっていく。

RTDとは、缶だけに限らない。
ペットボトルや瓶も含めた、「開けたらそのまま飲める飲料」全体のことだ。

この流れを決定づけたのが、Starbucks と PepsiCo の提携だった。
開発と流通が手を組んだ。
おかげで「完成したコーヒー」はアメリカでも「どこでも買えるもの」になった。

ここで起きた変化は、味だけではない。
飲み方の変化だった。
冷蔵ケースに並ぶコーヒー。
車のカップホルダーに収まるボトル。
歩きながら飲むコーヒー。

それまで「座って飲むもの」だったコーヒーが、「動きながら飲むもの」へと変わっていった。

それでも残る違い

ただし、日本と同じスタイルにはならなかった。
アメリカでは、今でもコーヒーの主流はドリップかカフェだ。
RTDはあくまで選択肢のひとつに過ぎない。
そして甘いコーヒーは、どこか「デザート寄り」の存在で、少しだけ特別だ。

一方、日本ではどうか。
甘い缶コーヒーは日常であり、
自販機は街の風景であり、
「一本飲んで、もう一仕事頑張る」という感覚は、ごく自然なものになっている。

完成された飲み物という考え方

あのとき、サクラメントで交わした会話を思い出す。

「最初から甘いのか?」
「冷たいコーヒーなのか?」

それは味の話ではなかった。
「完成されているかどうか」の話だったのだ。
コーヒーを、その場で作るものとして受け入れるのか。
それとも、完成された状態で手に取るものとして受け入れるのか。

ほんの小さな違いのようでいて、その背後には、時間の使い方や、働き方や、生活のリズムまでが透けて見えた。

そして今

コーヒーの国に、缶コーヒーはなかった。
少なくとも、あの頃は……

けれど今、アメリカでは冷たいコーヒーは当たり前のように並び、ボトルを片手に歩く人の姿も多くみられる。

それでもどこかで、あの違和感と疑問は残っている。
コーヒーは、そもそも完成されたものなのか?
それとも、やはり「その都度作るもの」なのか?

あの時、缶の中に入っていたのは、コーヒーだけではなかったのかもしれない。


1990年代のアメリカのコーヒー文化をまとめて読む。
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