— 1990年代のカリフォルニアにガムシロップがなかった理由 —

Sunlit courtyard café with white parasols in Jerome, photographed in 1991, capturing a quiet moment of everyday life in small-town America
Jerome, AZ, USA — May 1991 · Velvia50

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ESSAY


1990年代初頭のアメリカでは、アイスコーヒーだけでなくガムシロップも一般的ではありませんでした。冷たい飲み物に砂糖を入れても溶けない——そんな違和感が当たり前だった時代。実体験をもとに、その背景にある文化の違いをひも解きます。

1990年代のアメリカのコーヒー文化を一覧で見る。


ガムシロップは、なかった

1991年、カリフォルニアの暑い午後。
大きめの氷の入ったグラスが、静かに音を立てていた。

近所のカフェの親切な日本人マスターが、メニューにはないアイスコーヒーを作ってくれた。
当時のカリフォルニアでは、アイスコーヒーはどこのメニューにも載っていなかった
それに驚いた私に、マスターはさらに驚くことを言った。

「こっちはアイスコーヒーだけじゃなく、ガムシロップもないんです‥‥‥」

何でもないことのように言った。
一瞬、意味が分からなかった。
日本では物心ついたことからお馴染みの、ポーションタイプの冷たい飲み物を甘くするための透明な液体。
それが、ない?

「えぇー!じゃーどうするんですか?」
と聞くと、彼は肩をすくめた。
「そこの砂糖を入れるだけだです」
と、小さく小分けされた四角い紙包みが並んだトレイを指さした。

白色の包みはグラニュー糖、ピンク色の包みはダイエットシュガー。
それはどこのお店にもあるものだった。

言われるがままに、氷の入ったアイスコーヒーに、グラニュー糖を振りかける。
小さなプラスチックの使い捨てスプーンでしつこく混ぜる。

それでも、砂糖は溶けなかった‥‥‥

しかたなく、そのまま飲んだ。


溶けないまま、飲む習慣

最初は、ただの違和感だった。
砂糖が溶けていない‥‥‥
それだけのことが、妙に引っかかった。

周囲を客を見てみる。誰も気にしていない。
氷入りのティーに砂糖を入れる。溶けない‥‥‥
みんな同じように砂糖を入れて、同じように溶け残って、それでも普通に飲んでいる。

それが当たり前のように受け入れられている。
不思議なことに、誰もそれをどうにかしようとはしない。
「溶けない」という事実が、問題として認識されていないようだった。


最後に甘くなる飲み物

しばらくして気づいた。
ここでは「均一に甘くする」という発想そのものが、あまり強くない。

最初の一口は、ほとんど無糖だ。
飲み進めるうちに、少しずつ甘くなる。
そして最後に、強い甘さが残る。
グラスの中で、味が時間とともに変わっていく。

日本で慣れていたのは、最初から最後まで同じ味だった。
ここでは違う。甘さにはグラデーションがある。
それは未完成にも思えた。
でも、氷砂糖をグラスに入れて呑む紹興酒の習慣を思い出し、妙に納得した。


設計されていない甘さ

当時のアメリカには、ガムシロップがなかった。
正確に言えば、「冷たい飲み物専用の甘味設計」がなかった。

ホットには、普通の砂糖。
アイスにも、普通の砂糖。
そこに特別な工夫はない。

もちろん例外はある。
南部の甘いアイスティーは、最初の熱い状態で砂糖を溶かしてから冷ます。
つまり、溶けない問題は、最初から回避されている。

けれど西海岸では、そこまでしなかった。
冷たいものには、冷たいまま砂糖を入れる。
それだけだった‥‥‥


均一である必要はない

日本では、味は均一であるべきだと考えられている。
特に飲み物はそうだ。
最初から最後まで、同じ味であること。
そのために、ガムシロップがある。

冷たくても確実に溶ける。
甘さを均一にするための、よくできた仕組みだ。
逆に言えば、砂糖が溶けていない状態は、未完成に感じられる。

しかしアメリカでは違う。
味は、必ずしも均一である必要はない。
甘くしたければ、自分で砂糖を入れる。
溶けなければ、それでもいい。

完璧に整えるよりも、そのまま受け入れる。
そんな空気があった。


ジャリっとする甘さ

その感覚は、食べ物にも表れていた。

自販機で売られているスポンジケーキ
あれには、砂糖の粒が残っていることがあった。
噛むと、ジャリっとする‥‥‥

日本なら、少し雑に感じるかもしれない。
けれど、あちらではそれも一つの食感だった。

砂糖は、完全に溶けていなくてもいい。
粒のまま存在していてもいい。
甘さは、均一でなくても成立する。


今はもう、普通にある

今では状況は変わっている。

アメリカでも、ガムシロップに相当するものは普通にある。
simple syrupliquid sugar

カフェに行けば、たいてい用意されている。
Starbucks でも標準的に使われている。

アイスコーヒーもすっかり主流になり、リキッドシュガーやフレーバーシロップを選ぶのも当たり前になった。

ただ、日本のように「必ず置いてあるもの」ではないことも多い。
必要なら注文する、というスタイルは今も残っている。


溶けない砂糖の記憶

振り返ると、あの頃は少しだけ不思議な時代だった。
アイスティーはあるのに、まだ最適化されていなかった。

溶けない砂糖。
最後に甘くなる飲み物。
それを気にしない人たち。

あの感覚は、今でもはっきり覚えている。
砂糖は、溶かすものではなかった。
そこにあっていいものだった。
甘さは、均一である必要はない。
むしろ、ばらつきの中にあった。

そして今。
どこに行っても、きれいに溶けるシロップが用意されている。
日本と同じで、グラスの中の味は、最初から最後まで同じだ。
何も考えなくても、ちゃんと甘い。

時々、あの頃のアイスティーを思い出す。
かき混ぜても溶けきらず、最後に甘くなる、あの一杯を。
当時は、不便だと感じていた。
でもあれはひょっとして、今流行りの「味変」だったのかもしれない。


この体験は、単なるガムシロップだけではありませんでした。同じ感覚は、当時のコーヒー文化にも共通していました。
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