
DISCOVERING AMERICA
1990年代、アメリカで感じた戸惑いの正体
1990年代。
初めて、アメリカで長期間生活する機会がありました。
今でこそ、海外の情報は簡単に手に入ります。
YouTubeを開けば、現地スーパーも、レストラン文化も、郵便配達の様子すらも見ることができます。
しかし、当時は違いました。
まだインターネットも普及しておらず、「海外あるある」を事前に知ることもできなかった時代です。
だからこそ、現地で目に入るものすべてが、驚きと発見でとても新鮮だったのです。
空港を出た瞬間から、日本とは空気が違う。
空が広い。
道路が異様に広い。
駐車場が巨大。
住宅街は静かで、どこか映画のセットのようでした。
最初は、ただそれらが「アメリカっぽい」と思っていました。
しかし、生活を続けていくうちに、少しずつ気づき始めます。
「見た目が違う」だけではない。
社会そのものの作り方が、日本とは全く違うのだと‥‥‥
スーパー
レストラン
郵便
街並み
公共空間
食べ物
人との距離感
そうした日常の細部から、日本とは異なる「社会の考え方」が少しずつ見えてきたのです。
そして不思議だったのは、それぞれの出来事が、最初はまったく別々に見えていたことでした。
スーパーで感じたこと
レストランで感じたこと
街並みを見て驚いたこと
トイレで戸惑ったこと
その時は、全部バラバラの体験にしか思えませんでした。
しかし後になって振り返ると、それぞれが一本の線でつながっていたのです。
それは、スティーブ・ジョブズが語った「点と点は、後になって初めてつながる」という言葉に似ていました。
当時は意味がわからなかったことが、何年も経ってから、「ああ、そういう社会だったのか」と見えてくる。
このコーナーでは、そんな1990年代アメリカの実体験を入口にして、
へとつながる「アメリカ理解の地図」を整理しています。
そしてここは、各記事を横断的につなぐ「体験アーカイブ」の中心ページになっています。
結論:戸惑いには、すべて理由があった
最初に結論を書くと、アメリカで感じた戸惑いの多くは、「良い」「悪い」の問題ではありませんでした。
日本とアメリカでは、社会が優先しているものそのものが違っていたのです。
当時の私は、それを言葉では説明できませんでした。
ただ、
「なんとなく空気が違う」
「街の作りが違う」
「人との距離感が違う」
特に、人との会話はとても自然でした。
店員が、レジを打ちながら世間話を始める。
レストランで、コックが出てきて雑談をする。
知らない人が、普通に話しかけてくる。
最初は、その距離感に少し戸惑いました。
しかし生活を続けているうちに、それが日本とは違う形のコミュニケーションなのだと見えてきました。
また、日本では「コンパクトで整った街」が当たり前です。
しかしアメリカでは、広大な土地と車社会を前提にした、「広く作る文化」がありました。
だから道路が広い。
駐車場が大きい。
スーパーが巨大。
住宅街の景色まで違って見える。
最初は意味がわからなかったことが、後になって少しずつつながっていったのです。
当時の日本は、まだバブルの余韻の中にあった
今振り返ると、当時は「バブル期の日本」を当たり前だと思っていました。
コンビニは増え続け、街にはモノがあふれていました。
日本は「世界一便利な国」に向かっているように見えた時代です。
サービスは丁寧になり、街はどんどん高密度化していきました。
そして「利用者に優しいこと」が強く求められるようになりました。
だからこそ、アメリカでの「広さ」や「空気感」の違いが強く印象に残ったのかもしれません。
巨大な駐車場。
ゆったりした道路。
妙に静かな住宅街。
最初は単なる「アメリカっぽさ」だと思っていました。
しかし後になって振り返ると、あれは「バブル日本」と「郊外型アメリカ」の違いそのものだったのです。
最初に感じた戸惑い
最初の戸惑いは、空港を出た瞬間から始まっていました。
まず、空が大きい。
日本でも、空は空です。
しかし、アメリカでは妙に「空が広い」と感じました。
街全体が映画のセットの様にスッキリして見える。
道路が広い。
建物が低い。
住宅街が静か。
そして何より、日本では必ず目に入る「電柱と電線」がほとんど見当たらなかったのです。
これは本当に印象的でした。
日本では、空を見上げると電線があります。
しかしアメリカでは、空がそのまま大きく開けている。
最初は単純に、「映画のセットみたいな街だ」と思っていました。
しかし後になって振り返ると、それは単なる景観の違いではありませんでした。
郊外文化
自動車社会
地中化されたインフラ。
広い土地を前提にした都市設計
そうしたものが全部つながって、あの独特の景色を作っていたのです。
また、人との距離感も日本とは違いました。
日本のような「かしこまった接客」は少ない。
しかしその代わり、もっと自然な雑談文化がありました。
店員が普通に話しかけてくる。
行く先々で、知らない人と会話が始まる。
最初は、それを「親切」と呼べばいいのか、「フレンドリー」と呼べばいいのかもわかりませんでした。
ただ、「社会の空気そのものが素敵だ」と感じていました。
1. 生活の中で感じた戸惑い
1990年代のアメリカでは、毎日の生活そのものがカルチャーショックでした。
特別な観光地より、スーパーやレストランの方が、多くの発見があり、強く印象に残っています。
■ スーパーの戸惑い
スーパーは、とにかく巨大でした。
駐車場が広い。
建物も大きい。
通路も広い。
店内では「スクーター」と呼ばれる、日本製の電動カートに乗って買い物をしている人もいました。
そして、売っている商品のサイズまで大きい。
日本では見たことがないサイズのミルク。
山積みになったシリアルやポップコーン。
バケツに入ったアイスクリーム。
最初は「合理性の国なんだな」と思っていました。
しかし、本当に驚いたのはレジ周りでした。
店員が、レジを打ちながら普通に話しかけてくるのです。
昨夜のフットボール中継の話。
買った商品の感想。
「これ、俺も好きなんだよ」
「木曜からこれが安くなるけど、今日買う?」
そんな世間話をしながら、自然に会計が進んでいくのです。
しかも、その後ろでは、袋詰め専門スタッフが手際よく商品を袋に詰めてくれます。
さらに、そのままカートを押して車まで運んでくれるのです。
「自分がやるよ」と遠慮すると「仕事がなくなると首になるから、やらせてちょうだい」と言われました。
当時の日本には、あまりなかった感覚です。
日本の接客は丁寧です。
しかし、アメリカのスーパーには、別の意味での「親切で人との距離の近さ」がありました。
それはマニュアル的な親切ではなく、もっと生活感のあるフレンドリーなサービスだったのです。
👉 関連記事:
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■ トイレの戸惑い
一方で、一番戸惑ったのがトイレでした。
まず、「場所がわかりにくい」のではなく、「わからない」ように設置してあるのです。
日本なら、店に中には必ず案内表示があります。
しかしアメリカでは、それが見当たらないことが多いのです。
しかも、トイレは売り場の外にあったり、鍵を借りる必要があったりします。
さらに、入り口のドアには、トイレの表示すらありません。
最初はかなり混乱しました。
「アメリカの店でトイレを使うのは、それほどまでに特別なことなのだろうか?」
当時は真剣にそう思っていました。
しかし後になって振り返ると、そこには日本とは違う「公共空間」の考え方がありました。
日本では、店のトイレも、売り場と同じ公共空間として扱われています。
しかしアメリカでは、トイレは「管理された私有空間」として扱われていました。
防犯。
管理コスト。
ホームレス対策など。
そうした背景が見えてきた時、トイレ一つにも社会の考え方が表れていることに気づいたのです。
■ レストランの戸惑い
レストランでも、日本との違いを強く感じました。
まず、ほとんどのメニューには写真が載せてありません。
料理名だけ。
文字だけ。
説明もシンプル。
最初は、何が出てくるのか想像できませんでした。
なので、店員との会話が自然と必要になります。
「おすすめは?」
「それ、どんな味?」
「人気ある?」
そうやって、聞きながら注文する文化だったのです。
さらに驚いたのは、ファミリーレストランでも、コックが客席を回ってくることがありました。
「今日のメニューはいかがでしたか?」
そんなふうに、普通に話しかけてくるのです。
日本では、厨房の人が客席に出てくることは、あまり聞きません。
つまりアメリカでは、「メニューを読む」より、「人との会話で決める」文化が強かったのです。
このことは後になって、アメリカ社会全体のコミュニケーションの特徴につながっていることが見えてきました。
2. 社会の仕組みに対する戸惑い
小さな発見は、生活の中だけではありませんでした。
アメリカでは「社会の仕組み」そのものにも、日本との違いが見えていました。
しかも面白かったのは、それがスーパーやレストランで感じた空気と、どこかでつながっていたことです。
■ 郵便の印象
当時、私は「アメリカの郵便が雑だ」とは特に感じませんでした。
普通に届いていましたし、大きなトラブルも経験していません。
なので、後になって「アメリカの郵便は雑」という話をよく聞くようになった時、不思議に感じました。
ただ、振り返ってみると、日本ほど「過剰に精密」ではなかったとは感じます。
日本では、
- 時間通り
- 再配達
- 丁寧な受け渡し
- 細かいサービス
が非常に重視されています。
一方、アメリカでは、「広い国に、どうやって効率よく配達するか」という発想を強く感じました。
つまり、「雑」というより、「設計思想」が違っていたのです。
これは道路やスーパーの作りにも少し似ていました。
日本は「密度の高い便利さ」。
アメリカは「広さの中で成立する合理性」。
そんな違いが、郵便の仕組みにまで現れていたのです。
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→ アメリカの郵便配達は、なぜ車から降りない?
→ アメリカの郵便ポストが道路沿いに並ぶ理由とは?
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■ インフラの戸惑い
アメリカで、今でも強く記憶に残っているのが「空の広さ」です。
理由は後になってわかりました。
電柱と電線が、ほとんど見当たらなかったからです。
これは本当に衝撃でした。
日本では、空を見上げると、電線ばかりです。
しかしアメリカでは、空が分断されずに遠くまで続いている。
最初は単純に、「映画のセットみたいだな」と思っていました。
でも後になって、
- 地中化されたインフラ
- 郊外型住宅地
- 防災計画
- 景観重視
- 資産価値を意識した街づくり
など、日本とは違う都市設計の考え方が背景にあることが見えてきました。
そして不思議だったのは、その「空の広さ」が、スーパーの大きさや道路の広さとも、どこかでつながっていたことです。
全部バラバラの話ではなかった。
アメリカ社会そのものが、「広く作る」ことを前提にしていたのです。
👉 関連記事:
→ なぜアメリカには電柱広告がないのか?
→ 日本の街がごちゃごちゃ見える理由とは?
■ 制度の戸惑い
公衆電話や自販機にも、日本との違いが見えていました。
例えば自販機。
日本では、ボタンを押せば確実に商品が出てきます。
それが当たり前です。
しかし当時のアメリカでは、商品が引っかかることが本当にありました。
最初はかなり驚きました。
「えっ、引っかった?お金は?」
そんな感じでした。
ただ、不思議なのは、それでも社会が普通に回っていたことです。
つまりアメリカでは、「完璧に失敗を防ぐ」よりも、
「全体として機能すればよい」という考え方が強かったのです。
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3. 味覚の戸惑い
味覚もまた、大きなカルチャーショックでした。
最初は、見るもの全てが派手でした。
巨大なアイスクリーム。
山のようなポテト。
カラフルすぎるケーキ。
そして実際に食べてみると、味まで日本と全然違う。
甘い。
濃い。
しかも量が多い。
しかし、本当に驚いたのは「味の方向性」でした。
ルートビア。
初めて飲んだ時は、本気で驚きました。
「飲む湿布じゃないか、これ……」
そんな感想しか出てきません。
さらに、ホット・スパイスド・アップルタイザー。
リコリス・キャンディー。
どれも、日本では経験したことがない味や香りでした。
最初は単に「変わった食べ物」だと思っていました。
しかし後になって、それが移民からの食文化や、薬草文化、ヨーロッパ系の味覚の流れにつながっていることが見えてきました。
つまり、味覚にも「社会の歴史」が現れていたのです。
また、アメリカのファストフードが、本国の文化よりも日本的なことにも気づきました。
さらに、日本にあるアメリカ系ファストフードの「フライドポテト」の呼び名が、それぞれ違うことがわかってきました。
同じメニューなのに、名前の付け方一つで別の食べ物のように感じます。
これも後になって、「日本向けに強くローカライズされている」ことがわかってきました。
戸惑いの正体は何だったのか
振り返ると、当時感じていた戸惑いの正体は、「文化の優先順位の違い」でした。
日本は、
- 細やかさ
- 均一性
- 配慮
- 説明
を重視する社会です。
一方、当時のアメリカは、
- 広さ
- 実用性
- 会話
- 自由
- 効率
を前提に作られていました。
だから、スーパーも巨大。
道路も広い。
空まで広く見える。
そして、人との距離感も違う。
最初は、全部ただの「違い」にしか見えませんでした。
しかし生活を続けるうちに、それぞれが少しずつつながっていったのです。
まとめ:戸惑いは理解に変わる
1990年代のアメリカで感じた戸惑いは、最初は単なるカルチャーショックでした。
しかし、時間が経つにつれて、その一つひとつが意味を持ち始めます。
なぜ空が広く見えたのか。
なぜ街の雰囲気が違ったのか。
なぜ人との距離感が違ったのか。
なぜ味まで違って感じたのか。
その背景には、
など、日本とは異なる社会の成り立ちがありました。
当時は気づきませんでした。
ただ、「なんとなく違う」と感じていただけです。
しかし今振り返ると、その「なんとなく」が、一番大事な体験だったのかもしれません。
自分が当たり前だと思っていた世界が、別の場所では別の形で成立していた——
1990年代のアメリカ生活は、そのことを少しずつ教えてくれたのです。