― ロードトリップ1日目・午後|モントレーとカーメル、辿り着けなかった場所たち(1991)―

Coastal pasture and rugged Pacific shoreline along California Route 1 in Big Sur, photographed during a 1991 road trip, with grazing cattle overlooking the ocean and cliffs.
California Route 1, CA, USA — May 1991 ·Velvia 50

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ROAD TRIP 1990–1992


1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。1日目午後の、サンタクルーズ(Santa Cruz)からビッグサー(Big Sur)までの記録。今晩中に、サンタマリア(Santa Maria)へ到着しなければならなくなりました。そのためには、モントレー(Monterey)とカーメル(Carmel-by-the-Sea)を諦めなければなりません。その喪失感を慰めるように、ビッグサーの絶景が現れます。

予約という名の「見えない鎖」

ガソリンスタンドの公衆電話から、今夜のサンタマリア・エアポートヒルトン(Santa Maria Airport Hilton)の予約を済ませた。
とりあえず、今夜の寝床は確保できたわけだ。
車内泊の心配は、もうなくなった。

それだけで、気持ちはずいぶん楽になった。
だが同時に、新しい制約も生まれていた。

「今晩中に、サンタマリア(Santa Maria)へ到着しなければならない」

自由な旅のはずだった。
しかし、予約という安心を手に入れた代わりに、時間という見えない鎖も手に入れてしまった。

サンタクルーズ(Santa Cruz)の市街地は、進むほどに車の流れが悪くなった。

行く手を阻む信号。
溢れかえる観光客の車。
交差点ごとに伸びる長い列。
時計を見るたびに焦りが募る。
まだ、陽は高い。
しかし、夜は確実に近づいていた。

もし、道を間違えたらどうなるだろう‥‥‥
今なら、スマートフォンが教えてくれる。
だが、1991年にそんなものはない。

ナビもない。
ネットもない。
携帯電話もない。
道を間違えたかどうかは、当時はしばらく走ってみるまで分からなかった。

市内の中心辺りで、カリフォルニア ルート17(California Route 17)が合流してきた。
車線は、上下合わせて6車線に増えた。
コンクリートの継ぎ目をタイヤが越えるたびに、懐かしいい震動が聞こえたきた。
「ダッ、ダッ、ダッ…… 」
無機質で乾いたリズムを聞いていると、午前中に走ったI-80(Interstate 80)へ戻ったような感覚になった。
それは、はるか昔のことの様に思えた。

その時、奇妙な乗り物が追い抜いていった。
フレームだけで構成された、屋根もドアもないバギーだ。
乗っている男はサングラスをかけ、風を全身で受けながら走っていた。
時間など全く存在しないかのような、自由そのものの姿だった。
少しだけ羨ましくなる。

沿道には、ノスタルジックなスーパーの看板や、古い建物が並ぶ。
煉瓦造りのビルも見える。
都会のはずなのに、どこか懐かしい。
初めて見る景色なのに、かってどこかで見たような気がした。

ないものねだりのディスタンス

ふと、ウッドサイド(Woodside)のスーパーで買ったTrail Mixを思い出した。
助手席から、ビニール袋を引っ張り出す。
例の、鳥の餌のようなスナックだ。

細かく刻まれた、ナッツやドライフルーツをつまんで口へ放り込む。
味は悪くなかった。
気がつくと、いつの間にか癖になっていた。

Trail Mixをいくら噛んでも、残り時間への苛立ちは消えなかった。
紙コップのコーヒーをすする。

……ぬるい。

中途半端な温度だった。

そういえば、この国へ来てからアイスコーヒーを見ていない。
ギンギンに冷えたコーヒーが飲みたい。
だが、どこにも見当たらなかった。
なぜカリフォルニアには、アイスコーヒーがないのだろう。
そんなことまで、気になり始める。
今思えば、これも「ないものねだり」だったのかもしれない。

窓を全開にした。
「走行風で冷やせばいい」
我ながら名案だと思った。

腕を伸ばして、紙コップを窓の外へ少し突き出す。
しかし、タイヤがコンクリートの継ぎ目を越えるたびに、コーヒーは激しく飛び散った。
手はコーヒーで濡れた。
ドアにも飛び散る。
肝心のコーヒーは、全く冷えない。
アイスコーヒーで、頭を冷やしたかったのだが、冷えたのは腕だけだった。

通り過した憧れ

街を出てしばらく走ると、再び海が近づいてきた。
モントレー(Monterey)が近づいている。
海沿いには、所狭しと無数のヨットが並んでいた。
日本なら、漁船が停泊しているような場所だ。
しかし、ここでは白いヨットが並ぶ。
その光景が、延々と続く。
同じ海なのに、まるで別の世界だった。

本当なら、寄りたかった‥‥‥
日本でも有名な水族館も、見てみたかった。
海辺のレストランで、シーフードを食べてみたかった。
カーメル(Carmel-by-the-Sea)の町も歩いてみたかった。

カーメルは、あのクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)が市長を務めたことで知られる町だ。
彼の店もあると聞いていた。
だが、今日は諦めた。

太陽はまだ高い。
傾く気配すら見せていない。
それでも寄り道を始めれば、あっという間に時間は消えるだろう。
とにかく、先を急がなければならなかった。

ハンドルを握ったまま、自分に言い聞かせた。
「また来ればいい。いつか来ればいい」
未来への希望でもあり、目の前の諦めでもあった。

立ち止まるという選択

車線は、また片道1車線となる。
そして、カリフォルニア ルート1(California State Route 1)は、いよいよビッグサーBig Sur)へ入っていく。

モントレーやカーメルを通過した悔しさは、消えていない。
それでも海岸線を曲がるたびに、これでもかと大きな景色が現れる。

そして、ついに負けた。

時間がない……
ホテルへ向かわなければならない……
そう思いながらも、アクセルを踏む力が抜けた。

そこは、これまでに見てきた、右の海岸線と左の放牧風景が融合した絶景だった。
ここだけは撮る。
そう決めた。
全てを諦めたわけではなかった。

エンジンをかけたまま、助手席のCanon T90を手に取った。

道路の高低差は、ますます激しくなった。
海岸線をなぞるように続く一本道。

切り立った崖。
見下ろせば太平洋。
なのにガードレールすらない。

モントレー・カーメルを通過した悔しさを引きずる余裕はなかった。
ルート1の断崖から車が転落するシーンは、映画やテレビドラマで何度も観てきた。
スクリーンの中では、一瞬だった。
だが、実際にその場所へ来てみると他人事ではない。
ガードレールのない崖の向こうには、空しか見えない。
ハンドルを握る指先が、知らず知らず白くなる。
気がつくと、肩に力が入ってツリそうだった。

大型キャンピングカーが、前をノロノロ走っている。
対向車とすれ違うたびに、その巨体が崖側へわずかに寄る。
そのたびに、自分までが崖へ吸い寄せられるような気がした。

恐ろしい。
だが、息をのむほど美しい。
相反する二つが、同時に存在していた。

そして、しばらく走ると、再びアクセルを踏む力が抜けた。

California Route 1 Coastline — California, 1991
California Route 1, CA, USA — May 1991 ·Velvia 50

記憶に残る「辿り着けなかった場所」と不思議な味

再び走り出す前に、アイスボックスから冷えたRCコーラを取り出した。

そして、ふと余計な考えが頭をよぎる。
この冷えたコーラを、わずかに残っている生ぬるいコーヒーへ注げば、冷えて丁度よくなるのではないか?

さっそく、紙コップへ黒い液体を流し込んだ。
一口飲む。

――まずい。

ただ、それだけだった‥‥‥

今振り返ると、人の記憶とは本当に不思議なものだ。
自分は、絶景を見に来たはずだった。
しかし、ルート1の細かな景色は、もう記憶の中で少しずつ輪郭を失い始めている。
それなのに、モントレーとカーメルを通過したことだけは、今でもはっきり覚えている。
そして、あのコーラとコーヒーを混ぜてしまった味も……

失われたものほど、なぜか長く心に残り続けることがある。
ぬるいコーヒーと窓の外に広がる青い海を思い出すたびに、今でもあの「見えない鎖」の重みを感じることがある。

旅は続く

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