― ロードトリップ1日目・午後|サンタクルーズ、公衆電話が旅を変えた日(1991)―

Full view of a Pacific Bell payphone in San Francisco, photographed in 1992, with graffiti-covered booth and metal handset
San Francisco, CA, USA — Mar 1992 · Velvia50

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ROAD TRIP 1990–1992


1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。1日目午後の、カリフォルニア ルート1(California Route 1)、サンタクルーズ(Santa Cruz)での記録。ガソリンスタンドの公衆電話から番号案内へ電話をかけ、サンタマリア(Santa Maria)のエアポートヒルトン(Airport Hilton)を予約した体験を語ります。自由な旅人が、初めて未来への責任を意識した午後の記録です。

今夜の宿がない

セルフ給油が終わり、いよいよエンジンをかけようとした瞬間。
不意に、重要なことに気づいた。

今夜のホテルを、まだ予約していなかった‥‥‥

でも、初日の宿だけはあらかじめ決めていた。
サンタマリア(Santa Maria)のエアポートヒルトン(Airport Hilton)だ。

空港に隣接し、小型機で到着すると駐機場からそのままチェックインできる。
当時の自分にとっては、めまぐるしく未来的な憧れのホテルだった。

しかし問題は、電話番号がわからないことだった。

まずは落ち着こう。
今いるガソリンスタンドを見渡して、公衆電話を探した。
幸い、スタンドの脇に二台並んでいた。

いや、正確には一台半だった。
片方は受話器が根元からもぎ取られ、金属製のケーブルだけがぶら下がっていた。

地図の上の7倍

まともに動くもう一台は、先客が使用中だった。
スーツ姿のビジネスマンが、受話器を肩と耳で挟みながら何かを書き留めている。
車を移動して、少し離れた場所で順番を待った。

早く終わってくれないだろうか‥‥‥
そう思いながら、助手席で紙の地図を広げた。
現在地を指で探す。

「あった、サンタクルーズ(Santa Cruz)」

そして目的地のサンタマリア(Santa Maria)。
指を南へ滑らせる。

「え!うそだろう?」

思わず、声が出た。
思っていた以上に遠い。
いや、思っていた以上の、更に以上だ。

もう、写真を撮るために止まる時間はないかもしれない。
途中、渋滞に巻き込まれたらどうしよう。
日没後、山道が続くかもしれない。
ガソリンは、だいじょうぶだろうか?
急に、心細さが背中から這い上がってきた。

サン・グレゴリオ・ステート・ビーチ(San Gregorio State Beach)からサンタクルーズまでの距離を指で測る。
残っている距離は、その何倍もあった。
少なく見積もっても、今までサン・グレゴリオ・ステート・ビーチから走ったルート1の7倍以上。

地図の上では一本の赤い線に過ぎない。
だが実際には、その一本の線の向こうには、何時間もの運転が待っていた。

本当に今日中に着くのか?
初めて、現実的な考えが頭をよぎった。
何気なく、通話中のビジネスマンを見上げた。

その瞬間、「さあ、次は君だよ!」

ーーそう言われたわけではない。
ただ、ビジネスマンが受話器を置き、一瞬こちらを見た。

番号案内との格闘

慌てて車を降りて、公衆電話へ向かった。
ポケットへ手を入れる。
先ほど給油した時のお釣りが、そのまま入っていた。
財布を出す手間もなく、コインがすぐ取り出せた。
意外と便利だと思った。

硬貨を投入し、番号案内へ電話をかけた。
受話器の向こうから早口で返ってきたのは、感情のない機械的な女性の声だった。
一瞬、自動音声かと思ったほどである。
英語が聞き取れないかもしれないという恐怖が込み上げる前に、慌てて話した。

「日本から来たばかりなので、ゆっくり話してもらえますか?」

相手は短く、「Sure」と答えた。
その後、本当にゆっくりだったかは覚えていない。

ただ、その後に続く英語は、自分にとっては十分に速かった。
聞き取れなければ、終わりだった。
電話に字幕は表示されない。
聞き返すしかない。

あらかじめ、電話機の脇に置いておいた、PayLessで買った安物のBIGボールペンを掴んだ。
さきほどのレシートをポケットから出して、裏を広げる。

受話器を耳に押し当てながら、教えてもらったエアポートヒルトンの番号を書き取る。
ところが、ペン先がかすれてインクが出ない。

こんな時に‥‥‥

紙の上で何度も丸を書き、ようやくインクが出始めた。
妙な汗をかいていた。

受話器を置いた。

ガチャリという音の後、小さな金属音が続いた。
お釣りが返ってきた。
無機質な番号案内との格闘が終わった。
ホテルの予約そのものよりも、よっぽど心臓に悪かった。

逃げられなくなった旅人

お釣りのコインを再度投入した。
今度は、メモした番号のエアポートヒルトンへ電話をかけた。

聞こえてきたのは、先ほどの無機質な声とは正反対の明るい女性の声だった。
通話だけで、自分がネイティブではないとわかったのだろう。
とてもゆっくり話してくれた。

部屋は空いているという。
しかし、カード番号を聞かれた。
持っていない。
現金で支払いたいことと、到着が遅くなることを伝えた。
少しのやり取りの後、予約は無事に完了した。
「お気を付けて」と言ってくれた。

電話を切る。
再びチャリンという音が鳴り、お釣りが返ってきた。
それを、またポケットへねじ込んだ。

「よし!部屋は確保できた」

その時の気持ちは、それだけだった。
ほっとした。

だが車へ戻り、もう一度地図を開く。
当たり前だが、残りの距離は何も変わっていなかった。
変わっていたのは、逃げられなくなっていたことだけだった。

今までは、気が向かなければ、途中で予定を変えることもできた。
ただの「気ままな旅人」だった。
しかし、今は違う。
サンタマリアには、予約した部屋がある。
今日中に、そこへ行かなければならない。

ダッシュボードを見た。
デジタル時計の数字は、夕方へ近づいていた。
だがカリフォルニアの太陽は、嘘みたいに高い位置で輝いている。
少しだけ安心して、地図を畳みエンジンを始動した。

当時の自分は、ホテルの部屋を予約しただけだと思っていた。
だが今振り返ると、あの電話で確保したのは部屋だけではなかったのかもしれない。

受話器を置いた瞬間から、旅は少しだけ変わり始めていた。
自由に走るだけだった「気ままな旅人」は、もう逃げられなくなっていた。

もちろん、1991年の自分はそんなことを考えていない。
ただ「よし、部屋は確保できた」と、脳天気に思っただけだった。

だが35年後の今ならわかる。
実はあの公衆電話の受話器を置いた瞬間から、旅の意味は大きく変わり始めていたのだ。

旅は続く

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