
ROAD TRIP 1990–1992
1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。1日目午後、カリフォルニア ルート1(California Route 1)のサンマテオ郡南部海岸(South San Mateo County Coast)辺りの記録。サン・グレゴリオ・ステート・ビーチ(San Gregorio State Beach)から、いよいよ始まったルート1のドライブについて語ります。
坂の向こうは天国だった
いよいよ、サン・グレゴリオ・ステート・ビーチ(San Gregorio State Beach)の駐車場を出発した。
右折で、カリフォルニア・ルート1(California Route 1)へ入る。
その道は、アメリカのハイウェイとしては、珍しく想像よりも狭かった。
片側一車線。路肩も広くない。
そこには、インターステートで見慣れた巨大な18輪トラックの姿はない。
代わりに、キャンピングカーが目立って多かった。
反対車線は、そこそこ混み合っていた。
しかし自分が走る右側車線だけは、まるで用意されたかのようにに空いていた。
車は、そのまま長いスロープを登り始めた。
アクセルをさらに踏み込み、エンジンがわずかに唸りを上げた。
舗装は、滑るように走るなんて洗練されたものではなかった。
カリフォルニアの潮風と太陽に晒されて、意外と傷んでいた。
タイヤは絶えずロードノイズを響かせながら、坂を駆け上がっていった。
そして長い坂を登り切った、まさにその瞬間。
突然、世界が開けた。
それは、プレミアムシートでIMAXスクリーンを突きつけられたような、圧倒的なパノラマ。
坂の向こうは、文字通りの天国だった。
その瞬間、ルート1が全米屈指のドライブコースと呼ばれる理由がわかった。
道は海岸線ギリギリを縫うようにして、ロサンゼルス(Los Angeles)まで続いている。
それでも当時の自分には、その道がどこまでも無限に続いているようにしか見えなかった。
それだけで十分だった。

右は海、左は天国
右と左。
フロントガラスの先では、道を挟んで世界のコントラストが激しくぶつかり合っていた。
右側は、荒々しい太平洋の自然の要塞。
太平洋から打ち寄せる容赦ない波が、切り立った断崖にぶつかって白い飛沫を上げていた。
遠くの海岸線は、舞い上がる潮霧で白く霞んで見える。
そして恐ろしいことに、路肩にはガードレールも、防護壁も、何一つ存在しない。
近寄りがたい迫力があった。
一方、左側は牧歌的な地上の楽園。
まったくの別世界だった。
サン・グレゴリオ(San Gregorio)から続く、緩やかな丘陵地帯。
春の草原は鮮やかな緑に覆われ、見たこともない花が風に揺れている。
鳥の声が聞こえ、蝶が舞う。
のどかで、平和で、息を飲むほど美しい。
右が荒々しい自然なら、左は穏やかな楽園だった。
窓を開けた。
右からは湿った潮風が吹き込み、左からは山を越えてきた乾いた風が流れ込む。
だが圧倒的に強いのは海からの風だった。
風は車内へ入り込み、髪を狂ったように振り乱し、紙の地図をばたつかせる。
このまま走り続けたら、車の右半分だけが潮風で錆びてしまうんじゃないか、
そんな馬鹿げた心配が頭をよぎった。
その後も、景色は何度も姿を変えた。
それでも、風だけは変わらなかった。

自然が造ったジェットコースター
ルート1は地形に逆らわない。
山を削り取るのではなく、海岸線の起伏に寄り添うように続いていた。
緩やかな上り坂。
長い下り坂。
先の見えないスロープ。
その繰り返しだ。
右の窓の外では景色が次々に変わる。
断崖の上を走ったかと思えば、今度は海面すれすれのビーチ脇へ降りていく。
時には海から離れ、砂丘が現れる。
しかし左側の丘陵地帯は不思議なくらい変わらない。
緑の絨毯がどこまでも続き、その切れ目に時折、湖や川が姿を見せるだけだった。
崖沿いの区間では、思わず肩に力が入る。
相変わらずガードレールはない。
むき出しの断崖絶壁だ。
前をノロノロと走るキャンピングカーのタイヤが、カーブを曲がるたびに道からはみ出しそうになる。
「おいおい、頼むから落ちないでくれよ」
ハンドルを握る手に、じっとりと汗がにじむ。
この荒々しい海岸線に、これだけ長い道を切り拓くことがどれほど狂気じみた大仕事だったか‥‥‥
当時の若造でも、想像するだけで胸が熱くなった。

止まらない理由、止まれない自分
道路がビーチに近づくたびに、あちこちに公営の駐車場が現れた。
しかしそこは、風に運ばれた砂で半分埋もれかけていた。
そして、いかにも「91年のアメリカ」を象徴する車たちがひしめき合っていた。
角ばったデザインのキャンピングカー、
錆びたピックアップトラック。
ルーフにサーフボードを積んだワーゲン。
日本ではあまり見かけない車も並んでいた。
ウェットスーツを半脱ぎにしたまま、笑い合うサーファーたち。
旅の途中で、一つのドアだけ色の違うセダンを止めて、煙草をふかすバックパッカー。
真剣な眼差しで、絶景にレンズを向ける旅人。
駐車場だけじゃない。
絶景ポイントでは、路肩にまで駐車の列が続いていた。
ビーチへ続くトレイルの案内板も何度も現れた。
遠くの岬には、何年ぶりだろうか、白い灯台の姿も見えた。
「ちょっと、寄ってみようか」
そんな思いが頭をかすめる。
いくつかの美しい橋を渡るときも、スピードを緩めそうになった。
それでも、車を止めなかった。
ブレーキペダルを踏む代わりに、アクセルを少しだけ踏み込んだ。
理由は分からない。
ただ、先へ行きたかった。
不思議なことに、あの時車を止めなかったからといって、何かを失ったような気はしない。
今の自分なら、確実に車を停めるだろう。
サーファーたちの自由なライフスタイルを、どこか羨ましそうに眺めるだろう。
カメラを持って歩き回り、夕方まで動かないかもしれない。
だが、当時の自分は違った。
次のカーブの向こうが気になった。
次のスロープの向こうが見たかった。
だから走り続けた。

アメ車の乗り心地
ガタガタと揺れるシートの上で、ふと気がついた。
舗装の傷みだ。
海沿いの道路だからだろうか。
路面には細かな補修跡が多く、舗装修復工事も何度か通過した。
思い返せば、巨大なハイウェイのコンクリート舗装も継ぎ目だらけだった。
「ああ、だからアメ車のサスペンションって、こんなにフワフワで柔らかいんだ」
巨大なハイウェイを走っている時は、気づかなかった。
アメリカの車は、アメリカの傷だらけの大地を走るために作られていた。
広大な国では、道路事情そのものが日本とは違っていた。
そんな小さな発見が、孤独な旅の心を少しだけ満たしてくれた。
あの日聞いていた音
アメリカのロードトリップには、お気に入りのカセットテープや、チープなAMラジオが付き物だ。
だが、この日は何も流さなかった。
ラジオもつけない。
カセットテープもかけない。
ただ波の音を聞いてみたかった。
せっかくの、カリフォルニア・ルート1だ。
窓を全開にして、太平洋の激しい波の音を、五感すべてで受け止めたかった。
しかし、現実は甘くなかった。
波の音など、ほとんど聞こえない。
聞こえるのはエンジンの野太い唸り。
傷んだ舗装がタイヤを痛めつける、「ゴーッ」という凄まじいロードノイズだけだった。
それでも、窓を閉めなかった。
不思議と飽きなかった。
エンジンの唸りと、タイヤのノイズを聴きながら、何時間も走り続けた。
ただ、ただ、走り続けた。
海岸線はどこまでも続き、風はずっと吹いていた。
でも、今ならわかる。
あの日、聞きたかったのは波の音ではなかった。
そして、あの日聞いていたのも波の音ではなかった。
あの日聞いていたのは、風の音だった。
今振り返ると不思議だ。
景色を見に来たはずなのに、景色は細かな部分までは思い出せなくなっている。
覚えているのは、どこまでも続いているように見えた道と、窓から吹む風の音だけだ。
旅は続く →

関連記事
▶ 1991年アメリカ西部ロードトリップ Day 1|初日のロードマップ
▶ 1991年アメリカ西部ロードトリップ Day 1|旅の初日を振り返って
Day 1の記事一覧
- アメリカ西部ロードトリップ開始(1991)
- サンマテオ ヘイワード橋と静かなシリコンバレー(1991)
- ウッドサイド、スーパーの駐車場に現れたカウボーイ(1991)
- ウッドサイド、シリコンバレーとカウボーイ文化が交差した場所(1991)
- La Honda Creek Preserveの赤い納屋(1991)
- サン・グレゴリオ、風の記憶を追いかけて(1991)
- サン・グレゴリオ、ステージストップの物語(1991)
- サン・グレゴリオ、ジェネラル・ストア 94074 「生きたタイムカプセル」の物語(1991)
- サン・グレゴリオ・ステート・ビーチ、ルート84が終わり、太平洋が始まった場所(1991)
- サン・グレゴリオ・ステート・ビーチ、ルート84の終点で見た 「過去・現在・未来」(1991)
- サンマテオ郡南部海岸、初めて走ったカリフォルニア・ルート1(1991)
- サンタクルーズ、コーヒーとドーナツと自由満タン(1991)
- サンタクルーズ、公衆電話が旅を変えた日(1991)
- モントレーとカーメル、辿り着けなかった場所たち(1991)
- ビッグサーからサンタマリア、ロードトリップ初日の終着点(1991)