
ROAD TRIP 1990–1992
1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。ウッドサイド(Woodside)での、1日目午後の記録。カウボーイの町ウッドサイド、地元の老舗スーパーRoberts Market、巻き寿司や日本茶、アメリカ定番の携帯食の話などを紹介します。
Woodsideで見つけた、もうひとつのカリフォルニア(1991)
後になって知ったことだが、この町の名前はWoodsideという。
今では、富裕層が住む全米有数の町として知られている。
もともとは、馬と牧場と森林の町だった。
しかし、その時の私はそんなことを知らない。
ただ、車を降りた瞬間に何かが違うことだけは分かった。
最初に気付いたのは、景色ではなく匂いだった。
それまで、湾岸沿いで感じていた潮の香りと街の香りが消え、乾いた草と木々の匂いに変わっている。
海と街の匂いから、山の匂いへ。
ほんの少し前まで走っていた風景とは、明らかに空気が違った。
それ以上に不思議だったのは、時間まで巻き戻っているように感じたことだ。
道路脇には木製の柵が続き、牧草地が広がる。
柵の向こうには、馬の姿も見えた。
さらに、道路には街灯も少ない。
派手な商業施設も見当たらない。
世界最先端の技術産業が生まれようとしている、すぐ隣とは思えない。
懐かしい西部開拓時代の町へ迷い込んだような感覚である。
実は、Woodsideは、取り残された田舎町ではない。
大規模開発よりも、景観保護を優先してきたのだ。
意図的に、昔ながらの環境を残してきたのだ。
それは、残そうとして残された町だった。
スーパーに見えないスーパー
目の前の建物も印象的だった。
赤く焼けたアドビ瓦。白い壁。
重厚な木造の造り。
典型的なスパニッシュ・コロニアル様式の建物である。
普通のスーパーには見えない。
むしろ、歴史資料館か牧場のクラブハウスのようだった。
後で調べると、この店はRoberts Marketという老舗スーパーだった。
創業は1889年。
馬車配送の時代から続くゼネラルストアである。
ネットもない当時の私は、そんな歴史を知る由もなかった。
だが「普通のスーパーではない」という予感だけは当たっていた。
店内へ入る。
大木を使った梁(はり)。
重厚な柱。
軋む木の階段。
大型チェーン店のSafewayやBel Airとはまるで違う。
スーパーというより、町そのものが建物の中へ入り込んだような雰囲気だった。
客同士が、立ち話をしている。
店員と常連客が、世間話をしている。
都会のスーパーにはない時間が流れていた。

シリコンバレーの反対側にあったアメリカ
今振り返ると、この町にはアメリカ人が憧れる暮らしが凝縮されていた。
日本では、豊かになるほど便利な都会へ集まる傾向がある。
しかし、アメリカでは違う。
成功した人々が求めたのは、高層マンションや都市の利便性ではなかった。
広い空間だった。森だった。景色だった。静けさだった。
Woodsideは、その価値観を象徴するような町だった。
そして何より印象的だったのは、馬が特別な存在ではなかったことだ。
その証しとして、人を乗せた馬が道路を横切る黄色い標識が、街の至る所に設置してあった。
つまり、馬と自動車が同じ道路を共有することを知らせるサインである。
ここでは、映画の中のカウボーイ文化が、まだ現実の風景として残っていたのだ。
日本で馬を見るのは、競馬場か観光牧場くらいである。
標識も馬ではなく、鹿や熊である。
しかしここでは違った。
馬は生活の一部だった。
この土地の生活圏が、まだ乗馬文化と地続きであることを静かに語っていた。

昼食探し
肝心の昼飯を探しにに店内を見て回る。
巨大な精肉コーナー。
充実したデリ。
驚くほどの種類のサンドイッチ売り場。
とても、郊外のスーパーとは思えない豊富な品揃だった。
その中で目を引いたのが巻き寿司だった。
アメリカのスーパーで、寿司を見ること自体は珍しくなかった。
しかし当時は、郊外のスーパーでは見かける機会は少なかった。
試しに、買ってみることにした。
飲料売り場では、さらに面白いものを見つけた。
伊藤園の缶入り日本茶だった。
驚いたのは商品の存在ではない。
プライスカードである。
そこには「Green Tea」ではなく「Itoen」と書かれていた。
お茶ではなく、ブランド名で認識されていたのだ。
今では当たり前になった日本食文化の広がりも、この頃はまだ始まったばかりだった。
さらに、旅のおやつとしてTrail MixやTiger’s Milkも買い込む。
Trail Mixは、アパートのマネージャーから教えてもらったアメリカ定番の携帯食だった。
レーズンやナッツ、ドライフルーツ、種子類を混ぜたスナックだ。
見た目は鳥の餌に見える。
しかし実際に食べてみると合理的だった。
そして、病みつきになる美味しさだった。
同じ頃に人気だったTiger’s Milkも含め、こうしたエネルギーフード文化は当時の日本ではまだ珍しかった。
長距離移動が日常である、アメリカらしい発想だと思った。
駐車場で見た本物のカウボーイ
買い物を終えると、車へ戻った。
巻き寿司のパックを開ける。
伊藤園の缶のお茶を取り出す。
カリフォルニアの小さな町のスーパーの駐車場で、日本の巻き寿司を食べ、日本茶を飲む。
それは、今考えても完璧な昼飯だった。
肝心の味は、驚くほど普通だった。
日本で食べる味と、ほとんど変わらない。
その時だった。
一台の古いトラックが駐車場へ入ってきた。
荷台には大量の牧草が積まれている。
それは、サクラメント(Sacramento)周辺でも見かけなかったタイプのトラックだった。
トラックはゆっくりとこちらへ近づいてきて、自分の車の前で駐車した。
エンジンが止まると当時に、運転席のドアが開く。
降りてきた男は、正真正銘のカウボーイだった。
足元はウエスタンブーツ。
頭には、大きなテンガロンハット。
それは、映画の中でしか見たことがないような格好だった。
しかし彼にとっては特別な衣装ではない。
普段着である。
男は何事もないように、そのままRoberts Marketの中へ消えていった。
その後ろ姿を見送りながら、私はようやく気付いた。
Woodsideは、観光地ではない。
テーマパークでもない。
西部劇のセットでもない。
カウボーイ文化が、今も普通に息づいている町なのだ。
そして目の前に停まっている古い牧草トラックにも、興味を引かれずにはいられなかった。
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