― ロードトリップ1日目・午前|サンマテオ ヘイワード橋と静かなシリコンバレー(1991)―

Spanish-style adobe tile roof at Roberts Market in Woodside, California, May 1991.
Roberts Market in Woodside, CA, USA — May 1991 · Velvia50

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ROAD TRIP 1990–1992


1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。オークランド(Oakland)からウッドサイド(Woodside)へ向かう、1日目午前の記録。ベイエリアの空域、サンマテオ ヘイワード橋(San Mateo–Hayward Bridge)、シリコンバレー(Silicon Valley)、レッドウッド(Redwood City)などを紹介します。


Bay Area

サンフランシスコ湾(San Francisco Bay)を、右手に眺めながら車を走らせる。
上空には、アプローチ中のたくさんの機影が見えた。
この辺りは湾を挟んで、オークランド国際空港(Oakland San Francisco Bay Airport)と、
サンフランシスコ国際空港(San Francisco International Airport)と、
ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港(San Jose Mineta International Airport)の、
三つの巨大空港がある。
さらに、多くのジェネラルアビエーション空港も存在する。
そのため、パイロットの間では最難関クラスの空域の一つとされている。
パイロットの緊張に比べれば、車の運転は気楽なものだとつくづく思う

San Mateo–Hayward Bridge

やがて、これから渡るサンマテオ ヘイワード橋(San Mateo–Hayward Bridge)が近づいてきた。
同時に、Interstate 880(I-880)も、やや渋滞気味となる
この橋は、海面スレスレに湾を横断するとても長い橋だ。
その存在は、サンフランシスコ国際空港に着陸中の機内からも、はっきりと見ることができる。
飛行機の窓から眺めるたびに「あの長い橋をドライブしたらどんな気分だろう」と思っていた。
ついに、その長い橋を自分が走る時が来たのだ。
旅先では、こういう小さな願望がかなうだけでも妙にうれしい。

渋滞を抜け、料金所で通行料金を支払う。
1991年当時の通行料金は、1ドル
支払いはキャッシュだった。
ちなみに、現在は8ドル
時代は進み、橋も随分と値上がりしたようだ。

橋は、かすかに見える対岸のサンフランシスコ半島を目指して、ひたすらまっすぐに続く。
上下線合わせて4車線の広い橋である。
車は想像どおり、海面すれすれを滑るように走る。
ここからは、さらに多くのアプローチ中の機影が見えた。
「まるで、フロリダのセブンマイルブリッジ(Seven Mile Bridge)のようだ」と
言いたいところだが、何かが違う‥‥‥
まず、海の色が違う。
ここは、フロリダのターコイズブルーではなく、東京湾と同じ色だった。
そして、走る車がちがう。
一緒に走っている車は、巨大なトラックや工事用車両ばかりだった。
観光用ハイウエイではなく、首都高に近い感じだ。
それでも、湾の真ん中を海面スレスレに突き抜けてひたすら走るハイウエイは、日本には存在しない。
さらに驚くべきことに、サンマテオ ヘイワード橋の方が、フロリダのセブンマイルブリッジより若干距離が長いのだ。
おかげで、十分に爽快感が楽しめた。
車がオープンカーなら、もっと爽快だっただろう。

Frame captured from original VTR footage filmed in May 1991. The image has been preserved as close as possible to its original recorded condition.
Video Archive | Captured from VTR footage filmed in May 1991

静かだったシリコンバレー

長かった橋を渡り終えると、当時まだ静かな地域だったシリコンバレー(Silicon Valley)が始まる。
私がこの地域を走った1991年は、既にAppleとMicrosoftは存在していた。
しかし、時代はインターネット前夜だった。
当然、AmazonもGoogleもFacebookもまだ生まれていなかった。
もちろん、そんなことは当時の自分には分からなかった。
世界を変える企業が、次々と生まれる場所だとも知らなかった。
まさか、後に世界中の人々が、この地域の名を毎日口にするようになるとも思いもしなかった。
自分が見た時は、ただの郊外の静かな町だった。
もし誰かに「将来この辺りの土地が、アメリカで有数の高値になる」と言われたら?
きっと笑っていただろう。

Redwood Cityの日常

車はシリコンバレーを抜けてレッドウッド(Redwood City)の市街地へ入った。
道路の両脇には、小さめのモールや、SAFEWAYなどのスーパーや多くのショップが並ぶ。
さらに、Chevronのガソリンスタンド、ファストフード、学校や教会も道路沿いに並んでいた。
そして、ハイウエイでは見ることのできなかった、歩いている人の姿を多く見かけた。
観光地を走るのも楽しい。
しかし、自分はこういう何でもない町の生活風景が好きだった。
歩道でスーパーで買った何かを食べている人、
歩きながらアイスをかじる子供、
ガソリンを入れながら車の窓を拭いている人‥‥‥
旅行ガイドにはけっして載らない、その土地で暮らす人たちの生活が見えるからだ。
渋滞気味のおかげで、大好きな典型的なカリフォルニア郊外の生活風景を、ゆっくりと楽しみことができた。

道は、いつの間にかRoute 84に変わっていた。
このまま西へ進むと、サンフランシスコ半島のレッドウッド(Redwood )の山岳地帯を越え、太平洋岸へ突き当たる。
そこで、いよいよカリフォルニア ルート1(California Route 1)に乗る予定だ。

Frame captured from original VTR footage filmed in May 1991. The image has been preserved as close as possible to its original recorded condition.
Video Archive | Captured from VTR footage filmed in May 1991

山越の前に

車は、地元の人がJunipero Serra Freewayと呼ぶI-280と交差する。
ここから、緩やかな丘陵地帯が始まった。
同時に、周りの空気はベイエリアの日常から、一気に牧歌的なものへと変わった。
道はオークの林を縫う様に続いている。
サンタクルーズ山地(Santa Cruz Mountains)に吸い込まれる前に、昼飯を済ましておいた方がよさそうだ。
林を抜けた先に、突然小さな町が現れた。
日本の軽井沢のような町だった。
そこで、老舗と思われるアドビ瓦のスーパーを見つけた。
とりあえず、ここで休憩を兼ねて昼食を取ることにした。

Frame captured from original VTR footage filmed in May 1991. The image has been preserved as close as possible to its original recorded condition.
Video Archive | Captured from VTR footage filmed in May 1991

午前中だけでも、
サクラメントバレー(Sacramento Valley)を抜け、
湾をいくつか渡り、
ベイエリアを抜け、
シリコンバレーを横切り、
山の入口までやって来た。
まだ出発して半日だが、景色は何度も姿を変えた。
ロードトリップの面白さは、目的地よりも、その途中にあるのだろう。
まずは腹ごしらえをして、午後も太平洋を目指そう。

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