― ロードトリップ1日目・午前|アメリカ西部ロードトリップ開始(1991)―

Fox in Place, Sacramento CA. 1991
Sacramento, CA, USA — Mar 1991 · Velvia50

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ROAD TRIP 1990–1992


1991年5月。ナビもスマートフォンもない時代、紙の地図だけを頼りに始まったロードトリップ。サクラメント(Sacramento)からオークランド(Oakland)へ向かう、1日目午前の記録。「ライスボール作戦」、Volkswagen Bus、Ro-Ro船、ハイウェイ番号体系などを紹介します。


太陽はまだ低くかったが、雲ひとつない完璧なカリフォルニア(California)の朝だった。
サクラメント(Sacramento)のアパート駐車場で、屋根にまだ夜露が残っていた車のエンジンをかける。

ラゲッジスペースには、無駄に大きいアイスボックス。
助手席には、アメリカでは定番Road Atlasの紙の地図。
GPSもカーナビもスマートフォンもない時代。
頼りになるのは、折り目だらけのロードマップだけだ。

この日から、地図を片手にひたすら西へ走るロードトリップが始まった。
この先何も計画がないまま、車はアメリカ西部の奥深くへ入っていく。
エンジンの音を聞いて駆けつけてくれたアパートの管理人が「気をつけて、楽しんできてね」と送り出してくれた。

ライスボール作戦

この旅には、ひとつの作戦があった。
名付けて「ライスボール作戦」である。
車には奇妙な装備が積み込まれた。

  • 激安のカリフォルニア米(カルローズ)
  • 古いPanasonic製炊飯器
  • 醤油
  • 海苔

つまり、電気と水さえあればいつでもおにぎりが作れるのだ
長距離ドライブの最大の敵は、ガソリンでもタイヤでもない。
食費である。

アメリカは大好きなハンバーガーの国である。
しかし、毎日それでは日本人としての尊厳が危うい。
そこで編み出されたのが、この作戦。
米を炊き、丸く握り、醤油をつけた海苔を巻く。

アメリカ人から見たら、大砲の玉か爆弾に見えるだろう。
日本人の最終兵器「おにぎりである。

まずは海を見る

サクラメントは、盆地の街だ。
夏は毎日暑く、摂氏四十度を超える。
しかし空気は乾き、不快指数は日本よりかなり低い。

それよりも、海がない
だから、ロードトリップ最初の目的だけは決まっていた。

「まずは太平洋を見ること」

目指すのは、カリフォルニア ルート1(California Route 1)。
西海岸を太平洋沿いに南北に走る、アメリカ屈指の絶景道路だ。
バブル当時、日本ではこの道がよく車のCMに使われていた。

海岸線を滑るように走り抜けるスポーツカー。
夕日。風‥‥‥
「いつか走ってみたい」
そんな憧れのハイウェイだった。

ちなみに現在は、崖崩れなどで一部区間が通行止めになったままだ。
復旧の目処は、いまだにたっていない。
だから思う‥‥‥

1991年にLA(Los Angeles)まで走れて本当に良かった。

Vintage Volkswagen Bus

まずは、アパート近くのジャンクションから、I-5(Interstate 5)に乗り一旦北へ向かう。
数分で、ダウンタウンのジャンクションに着き、そのままI-80(Interstate 80)に合流。
今度は西へ向かった。

アメリカのハイウエイ番号には、統一された便利なルールがある。
奇数は南北、偶数は東西へ向かうことになる。
先ほどまで上下合わせて8車線もあったI-5から、6車線へと変わった。
それでも、滑走路のような広いコンクリートの道が、サンフランシスコ(San Francisco)まで続く。

サクラメント近郊の平坦な農業地帯を抜けると、隣のDavisの大学町を通過する。
途中、白煙をあげながら走る、ヴィンテージのVolkswagen Busに追い越された。
Volkswagen Type 2と呼ばれる、サーフカルチャーの象徴となっていたノスタルジックな憧れの車だった。
そこには、ビール片手の陽気な大学生風の若者達が、スシ詰め状態で乗っていた。
目が合うと、叫びながら笑顔で自分に手を振ってくれた。
その姿は、自分が思い描いていた憧れの「アメリカの風景」そのものだった。
日本から来たばかりの当時の自分には、その自由さがどこか映画のシーンの様に見えた。
同時に、これから自分もその世界の一部になっていけるのだろうか?という不安に襲われた。
カリフォルニアの朝は広く、自分はまだ旅の入口に立ったばかりだ。
彼らが走り去ったあとも、白煙と笑い声だけがしばらくハイウェイの上に残っていた。

I-80からI-880へ

車は、真っ直ぐ伸びる道路を、地平線に向かって延々と走る。
65mph(約105km/h)が、不思議なくらいゆっくりに感じた。
道路が広いからだけではない。
見える景色のスケールそのものが違っていたからだ。
やがて、お気に入りのナット・ツリー空港(Nut Tree Airport)を横目に、バカビル(Vacaville)の町を通り抜けた。

しばらくすると、カークィネス海峡(Carquinez Strait )を渡る橋を通過。
橋の上からは、大きくMAZDAやTOYOTAと書かれた巨大なビルや倉庫が、海に浮かんでいるのが見えた。
妙に思ってよく見ると、それらは海峡を通過中の巨大な箱型Ro-Ro船(自動車運搬船)だった。
当時、貿易黒字世界一だった日本からの、北米向けの中古車や新車輸出で使われていたのだ。

橋を渡り終えて、サンフランシスコ湾(San Francisco Bay)を右手に見ながらしばらく走ると、エメリービル(Emeryville)を通過する。
ここはAMTRAK(アメリカ大陸横断旅客鉄道)カリフォルニア・ゼファー号(California Zephyr)の西側終着駅の街である。
ここで、I-80からInterstate 880(I-880)へ分岐する。
まだサンフランシスコ湾を渡らずに、東岸(イーストベイ)を東に走り、サンマテオ ヘイワード橋(San Mateo–Hayward Bridge)で渡ることにした。
ちなみに、サンフランシスコ湾を渡って西岸(ウエストベイ)を東に走るとなると、ハイウエイはInterstate 860(I-860)となる。

なぜ見知らぬ外国で、ナビもないのに走れたのか

アメリカのInterstate Highwayの番号には統一されたルールがある。
I-80 → I-880 は、単に数字が増えただけではない。
それは「本線から分岐した補助路線」であることを意味している。
それだけではなく、最初の数字が偶数(2・4・6・8)の場合は、都市周辺を迂回する環状線を意味している。
奇数(1・3・5・7・9)の場合は、都市中心部へ入り込む支線となる。
さらに、その番号は南から北へ、西から東へ行くほど大きくなるのだ。
この様にアメリカのハイウェイ番号体系はとても計算されている。
慣れると、地図を見なくても道路同士の関係がわかるのだ。

現在は、迷うことなくナビが目的地まで連れて行ってくれる。
しかし、当時は全く違っていた。
紙の地図を助手席に置き、道路番号と標識だけを頼りに進んでいく。
それは、地図を読むというより、道路そのものが行き先を教えてくれているような感覚だった。
結局、一度も道を迷うことなく一週間走り続けることができた。
それは自分の運転技術ではなく、アメリカの道路システムそのものが優秀だったからだ。
まだ、カーナビもスマートフォンもなかった時代。
これほどまでに、シンプルで便利な道路網を築いていたアメリカに感動した。

そして車は、さらに南へ向かう。
オークランド港のどこまでも続くコンテナ群を右手に見ながら、I-880をサンノゼ方面へ走り続けた。
湾の向こうにはサンフランシスコ半島が見え始めていた。
この時の自分はまだ知らない。
その先で出会う風景が、生涯自分と共に歩み続けることを。

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