
ESSAY
1990年、アメリカで初めて手に取った一本の缶。そこに書かれていたのは「Beer」という見慣れた単語でした。疑うことなく口にしたその一口が、想像を裏切る強烈な味と香りとなって襲いかかる——それが、ルートビアとの最初の出会いでした。なぜルートビアは「まずい」と感じるのか。その理由は味そのものではなく、記憶と文化に深く結びついた“香りの正体”にありました。本記事では、ビールと勘違いして飲んだ実体験をもとに、ルートビアの味の正体とアメリカ文化との関係をひも解いていきます。
当時のアメリカでは、こうした発見が日常のあらゆる場所に存在していました。
→ 「1990年代アメリカ体験記|現地で感じた文化の正体」
→1990年代アメリカで体験した味のカルチャーショックを一覧で見る。
プロローグ
1990年、最初のアパートでの出来事だった。
家具は最低限。家賃はやけに安く、天井はやけに高い。
そして、部屋に洗濯機がなかった。
敷地の隅に設置された、無駄に広いコインランドリー。
ああいう場所は、だいたい何かが始まるか、何かを間違える。
その日は、こともあろうに両方だった。
衝撃
洗濯機にコインを放り込み、ドラムを回し始める
乾燥した気候のせいで、やけに喉が渇いていた。
隅にあった自販機で飲み物を買った。
見慣れない缶。
でも「Beer」と書いてある。
ビールだと思った。
疑う理由がない。むしろ疑う方が失礼だ。
──それがすべての間違いだった。
名前に「Beer」とあるけど、
それは一切ビールではなかった。
プルタブを開けて、一口。
まず、強烈な甘さ‥‥‥
ここまではいい。
アメリカだし、まあそうだろう。
問題はその直後だった。
ポマード‥‥‥そしてサロンパス‥‥‥
時間差で、鼻の奥にそれが来た。
「味」じゃない。
“記憶にある何か”が、口の中で暴れ出した。
次の瞬間、反射的に外に飛び出した。
気がつくと、コインランドリー脇の下水溝に吐き出していた。
あんなに迷いのない行動は、人生でもそう多くない。
思った‥‥‥
世の中に、こんなに不味い飲み物があるのか。
名前の裏切り
あとで知った。
あの「Beer」という言葉は、自分が思っていた“ビール”とは全く別物だった。
Root Beerの「Root」は、植物の根のこと。
そして「Beer」は、発酵して泡が出る飲み物、という広い意味の言葉だった。
昔は砂糖と酵母で軽く発酵させていたらしい。
少しだけアルコールのある、ビール“みたいな”飲み物だった。
つまりあれは、根っこを煮出して発酵させたドリンク。
名前は、何ひとつ間違っていなかった。
間違っていたのは、勝手にキンキンに冷えたラガーを想像した自分のほうだった。
衝撃の理由
匂いの犯人は、サッサフラスという植物だった。
Root Beer特有のあの香り。
あれは、ハーブ由来のものらしい。
ただし、問題はそこじゃない。
問題は、それが何に似ているか、だ‥‥‥
どう例えてもこうなる。
コーラにポマードとサロンパスを混ぜた味。
つまりこれは、味覚の問題じゃない。
“記憶”が拒否している。
あの時、体がこう叫んだ。
「それは飲むものじゃない!」と。
もともとは「薬」だった
さらに話はややこしくなる。
Root Beerはもともと、薬草ドリンクだった。
いわゆるハーブトニック。
19世紀のアメリカでは、消化促進・滋養強壮、そんな目的で飲まれていた、民間薬。つまりあの味は、間違っていない。
最初から薬だった。
ちなみにこの流れ、Coca-Cola と同じだ。
あちらも元は薬。こちらも元は薬。
ただし、味の方向が違いすぎた。
禁止された「本物の成分」
さらに追い打ちが来る。
元祖のサッサフラスには、サフロールという成分が含まれていた。
これが1960年代、発がん性の疑いありということで使用禁止になる。
じゃあ今のRoot Beerは何なのか?
答えはシンプルだ。
人工的に“あの味”を再現している。
つまり、ご丁寧にあの薬っぽさを再現した飲み物にしている。
これもCoca-Cola と似た構造になっている。
アメリカ人はなぜ平気なのか
ここがいちばん面白いところだ。
アメリカでは、Root Beerはどこでも普通に売っている。
そして同じ香りが、キャンディ、ガム、アイスなどに使われている。
つまり彼らにとっては、以下の公式が成り立つのだ。
対比構造
- 日本人:薬の記憶 → 拒否
- アメリカ人:お菓子の記憶 → 好物
同じ味なのに、意味が完全に逆転している。
そうか!あの日、自分が下水溝に吐き出したのは、味じゃなかった。
文化だったのだ。
朧いたのは、味だけではありませんでした。
→ 食感までも違っていた驚きの体験記はこちら
ブランドの違い
ちなみにRoot Beerにもいくつか種類がある。
- A&W Root Beer → 甘くてバニラ強め。初心者向け
(らしいが‥‥‥初心者とはいったい何なのか?深く考えさせられる) - Barq’s Root Beer → 炭酸強めでやや辛口。(逃げ場はない)
- Mug Root Beer → マイルドで飲みやすい。(と言われても、絶対に信用はしない!)
最初にどれを飲むかで、人生が大きく変わる。
エピローグ
あの味は、舌で感じているんじゃない。
記憶の中で、拒否されているだけだった。
あれから40年近く経った。
どうやら日本にも、あの味を受け入れる変態が増えているらしい。
そして困ったことに、今では日本でも普通に手に入る。
記憶というのは、上書きされる。
あの日、下水溝に捨てたはずの味を、なぜか時々思い出してしまう。
そして、ごくたまに。
自分でも信じられないことに、あれをもう一度、飲んでみたりする。
あの日の懐かしさを噛み締めるために。
今回の味や味覚の「なんでそうなの?」という違和感
他にも、食べ物に関する違和感がありました。
→ 「フライドポテト」ではなかった。Burger Kingでの恥ずかしい体験。
→ なぜアメリカのコーヒー文化は想像と違っていたのか?
→ 極めて日本的なアメリカのファストフード文化はこちら
→1990年代アメリカで体験した味のカルチャーショックをまとめて読む。
当時のアメリカでは、こうした発見が日常のあらゆる場所に存在していました。
→ 「1990年代アメリカ体験記|現地で感じた文化の正体」